鴨志田祐美弁護士著「大崎事件と私~アヤ子と祐美の40年」
司法修習生時代に大崎事件(第1次再審請求即時抗告審係属中)
記事タイトルについてですが、私がこの本に興味を引かれたのは、
作品中には、
「刑弁教材だった『高隈事件』の無罪判決を獲得した弁護人は、
約700頁の本作品ですが、内容の魅力に加えて文章も読み易いというリーダビリティで、ほぼ一気読みでした。
大崎事件の再審請求は
第1次:一審(再審開始決定)→即時抗告審(一審決定取消)→特別抗告審(抗告棄却)
第2次:一審(再審請求棄却)→即時抗告審(抗告棄却)→特別抗告審(抗告棄却)
第3次:一審(再審開始決定)→即時抗告審(抗告棄却)→特別抗告審(再審開始決定取消)
第4次:一審係属中(今ここ)
という経過を辿るのですが、弁護団の奮闘と歓喜・失望が繰り返されるジェットコースター的展開で、読み易いものの、読むのに体力は使いました。特に、第3次再審で地裁→高裁と勝ち進み、最高裁で前例のない請求棄却自判となったくだりでは(この展開はリアルタイムで知っていたものの)弁護団の失望や怒りがそのまま伝わってくるようでした。第3次の一審・即時抗告審のどちらの決定時か忘れてしまいましたが、泉弁護士と祝意を伝えるメールのやりとりをした数年後、最高裁決定のニュースを見て絶句したときのことを思い出しました。
ここで終わらないのが大崎事件弁護団であり、新たな戦力も加わり新証拠を携えて第4次請求に向かうのですが、読後は深く考えさせられました。刑事司法の現実は「疑わしきは検察官の利益に」であり、公益の代表者であるはずの検察にとって最優先なのは組織防衛であることなど、弁護士のはしくれとして理解していたつもりでしたが、その弊害が集約するのが再審の世界なのだなあと。
作品全体の所感として、鴨志田弁護士の情熱と志と人間力、そして体力に圧倒されるのですが、こうした超人的(と私は思います)な弁護士の献身をもってしても再審の扉は容易に開きません。
そもそも、無辜の人を救済するのは本来的に国家の役割ではないでしょうか。個人事業主である弁護士が手弁当で必死に活動するにあたり、通常事件の受任や処理、事務所経営、ライフワークバランスなどに影響しないことはありえません(本作品には、このあたりのこともある程度率直に書かれています。鴨志田弁護士にとって大崎事件との出会いが幸せなものであるにせよ、経営事務所を閉められるくだりは切ないものがありました)。
この点で印象的だったのは、鴨志田弁護士が台湾の検察総長と面談されたときのエピソードです。台湾では、「検察官は・・日本のように刑事裁判の『当事者』として勝ち負けにこだわる以上に、『人権の守護者』として客観的立場から真実を発見し、公益を実現することで国民の信頼を得ようとしている」(577頁)というスタンスだそうです。
日本の刑事司法もこうであったら、大崎事件はとうの昔に再審開始→無罪判決となっていたでしょう。裁判官の当たり外れや、公益の代表者とは思えない勝ち負け命の検察に翻弄される再審制度の現状が変わるように、鴨志田弁護士の悲願である再審法改正(証拠開示制度の整備、検察官による抗告禁止)が実現することを願います。