65号棟を東棟→南棟と進んだ後、57号棟と59~61号棟の間を
南に抜け、日給住宅(16~17号棟?)に入りました。
「緑なき島」と呼ばれていた軍艦島では建物の屋上緑化が図られ、
日給住宅の屋上には農園が造られていたそうです。
建物内は、やはり柱梁の劣化が目につきます。
端島神社から見下ろした日給住宅
再び日給住宅内(18~19号棟?←このあたりから
どの棟にいたのか認識が怪しい)に入ります。
日給住宅を出た後、2号棟・3号棟の東側を通って島内南に向かいました。
島内南の30号棟の前に出ました。30号棟は、日本最古(大正5年竣工)の鉄筋コンクリート造高層アパートです。
今回の見学会に誘ってくださった建築士さんが2年前の見学会で軍艦島に上陸された際は、どの棟も立ち入り自由だったそうで、30号棟もかろうじて内部に入ることができたようですが、その時点で柱脚の鉄筋爆裂がひどく、帯筋内のコンクリートすら剥落しかかっている状況だったそうです。
今はすでにスラブが抜けている箇所が多いとのことで、30号棟内部への立ち入りは許可されていません。
長崎市としても30号棟の保存は諦め、自然に朽ちるのを待っている状態だそうです。
今回の見学会で感じたのは、これほど悪条件の環境下、無人になって数十年経過する築100年前後の鉄筋コンクリート造建築物が、劣化しながらも一応未だに建っているのだから、現在の技術で造られたRC造建物は、適切なメンテナンスを施していけば、100年200年余裕で持つのだろうなということです。
軍艦島建物群の保存が難しいところは、現代のビルやマンションなどと違って、部材を更新するわけにいかない(現在の劣化状況を維持しないといけない)という点です。この難問に研究者の方々がどのような答えを見つけるのか、興味津々です。
貴重な見学の機会をくださった長崎市、学会の方々、建築士の先生、ありがとうございました。